福祉や世の中に関するコラム


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このページでは、福祉全般に関することや、世の中の出来事などをもとに私見に基づいた独り言などを綴っていきたいと思います。

恥ずかしながら、管理人は介護保険に関しましては多少の心得がありまして、ついつい専門的なこともテーマにしてしまいがちですが、こちらは難しい話は一切なし。率直な感想や意見をと考えています。

新しいものが上で、古い記事は下に、更に古いものは過去ログとしてページを移しかえながら、ぼちぼちと。



題名:この年齢、まだやれる! 日付:2008.5.5

 今、一躍話題の人となっているクルム伊達公子さん。
 彼女は私より1歳年上の同年代。

 我々の年代は所謂団塊ジュニアであり、人口構造的に仲間が多く、これからも頑張らなければならない世代であり、老けこむ事が許されない世代である。

 何せ尻すぼみ式に後輩が少ないのだから、先輩がたが今の我々と同じくらいの年齢の時に「私たちは年よりだから」などと言いながら後輩達に任せていた事など、今、我々は概ね自分でやらなければならない状況であろう。

 ドラマのシーンなどで後輩OLなどに「これコピーとっといて」などと言いながら、さっと書類を差し出すシーンがあるが、私たちの同級生に、果たしてあのようなシーンを実際の職場で再現できる身分の者がどれ程いるだろうか?おそらくそう多くはいないだろう。
 年功序列では人口構造的にまだまだ若輩であるためであり、実力(成果)主義をとる会社では、みんながライバルなのだから後輩に雑用をさせるなどもっと考えにくい。

 まあ、コピーくらい自分ですればよかろう。だいたい若者に雑用ばかりさせようという先輩方の根性がいけないと当時から思っていたのでこれはよしとする。

 しかし、永遠の若手(単に私の出世が遅いという突っ込みはご遠慮願いたい)である我々世代も、やはり体力の衰えは感じているはずだ。

 30歳を過ぎたばかりの時は、まだまだ大丈夫だなと思っていたし、20代の時と比較して、徹夜仕事や夜遊びなどで多少無理がきかなくなったかなと思う程度で、衰えたという実感は無かった。

 35歳を過ぎたあたりから、「あれ」と感じることが多くなった。

 奥さんや彼女から加齢臭の指摘を受るのもこのあたりからだ。

 体力、気力の衰えとともに、顕著なのが「脳の衰え」である。

 私の場合、最近になって「脳の中のメモ帳」が無くなった。

 今まで「メモをとる」という事を敢えてしなかったが、本当のメモ帳が必要になった。

 業務の中で、電話および会話の内容を頭の片隅に置き、必要な時間(日)に引き出すという事ができなくなったのだ。

 ADDな私にとってメモ帳整理は苦手な作業の一つだが、PCが多少得意なお陰で何とか事務吏員として通用?しているといった状況である。

 しかし、マイナスだけではない。今まで培った経験や知識が、若い頃には出来なかった事が確実にこなせるようになっている事もまた事実である。

 だが、スポーツ界を見て、もう殆ど年下ばかりだということにふと気が付く。

 ついこの前まで、原辰徳さんは巨人の4番だったはずだが、監督なんぞをやっているし、中日の立浪選手は「ガラスの十代」がテーマソングになるように、センス抜群の若手遊撃手だったはずだが、今や大ベテランとして代打の切り札などというポジションにいる。

 もう、スポーツでは一線では無理な年代なんだろうな・・・何て思っていたら、伊達公子さんが颯爽の如く現れ、高校生や大学生相手に格の違いを見せつけていた。

 「そうだ、僕たちはまだまだ若いんだ。体力では20歳そこそこの人達に劣るかも知れないけど、今まで積み上げた経験値とか、総合力では負けないぞ。」

 勿論、絶え間ない努力あっての事である。

 同年代の方々の多くが、伊達さんの活躍を見ながら様々な想いをはせたにちがいない。






題名:ADDの思い出 日付:2008.1.28

 ランドセルは、他の子よりもパンパンで、重い。

 1時間目国語、2時間目算数・・・という計画を見て、必要な教科書やノートをランドセルに詰込むのだが、私は、前日あった教科で、当日は必要ない物を抜くことをしないから、ランドセルの中身はどんどんと増えていき、始業式から1ヶ月もたてばもう他の子の3倍くらいの厚みになっているのだ。

 通学は徒歩。身体は鍛えられたかな?

 しかし、教科書、ノート、問題集など、全ては入らないから、定期的にその日に要らないものを抜く作業が必要である。

 しかし、ここで必要な物を抜いてしまい、結局忘れ物をしてしまうのだ。

 また、忘れて、先生にこっ酷く叱られ、「今日も忘れ物してしまった・・・」と、家に帰る支度をしている時に机の中からその教科書が出てきたりもする。

 ランドセルが重いのが気になり、今度は持って帰る必要がないと判断した物を机の中に置いたまま帰ることにしたら、宿題でそれが必要であることが帰宅後、発覚する。

 机の中は、教科書、ノート、テスト、プリントなどがたまり、給食のパンの残りを放置し、カビが生えている。

 中学校に上がると、食べ盛りでパンを残すことが無くなったに過ぎないのだと思うが、カビパンは姿を消した。しかし、相変わらず机の中はグチャグチャ、カバンは他人の3倍は重量がある。

 「君は将来大物になるよ」

 こんなことを言う先生もいる。

 それは、暗に、他の子と違うということを指している。

 授業に集中できず、教科書は落書きだらけ。

 特に、顔写真が多い社会科となると、悲惨である。歴史上の人物は、新たにヒゲが書き加えられるのは必至だ。

 伊藤博文、板垣退助などのように最初からヒゲがあるものはどうかって? そういう場合は新たに眼鏡を書き加えるのだ。

 坂本龍馬は、三国志の豪傑、関羽のように変わり果てている。

 その頃、歴史になど興味が無かった。

 私が歴史に興味を持つようになったのは大人になってからである。


 話は遡って、小学校1年生の時の運動会、障害レースのようなもので、最後、札を選んで、その札に書かれた動物のマネをしてゴールせよという内容。

 犬、ウサギ、鳥、猿など色々書かれている。 鳥や猿など2足歩行できるものはラッキーで、犬などは4つんばいで行かないといけないが、それでも急いでバタバタと皆ゴールを目指している。

 私が引いたのは「亀」だった。

 私はお腹を地面につけて、ゆっくり、ゆくりとゴールを目指した。

 「何してる!早くしろ」

 しかし、私は「亀」ということを忠実に守った。

 場の雰囲気は、世話係の6年生のお姉さんは悪くない反応だった。「なるほど」という感じだったと勝手に解釈した。

 私のやった事に理解を示した先生や上級生、父兄の方々があったことは、当時感じた感覚でも間違いない。

 勿論「お前、何やってる」と批判して来た同級生はいた。

 しつこいようだが、こういう子供を持つ親御さんに、重ねて、辛抱強く、愛して、育ててあげて頂きたいと願う。







題名:ADDの特徴、プチ自慢 日付:2008.1.20


 発達障害と言われるだけあって、総じてADD(ADHD)は遅咲きであるようだ。

 大器晩成と言えば聞こえはいいが、若い頃、特に少年時代は大変苦しい思いをする。

 織田信長、坂本龍馬と言った偉大な先輩と同列に語ることなど滅相もない。あくまで凡人のADD自慢をさせて頂く。

 私の場合、やはり小学生時代は他の子よりも叱られる機会が多かった気がする。
 
 しかし、アイデアマンの特徴は幼少の頃から表れる。

 小学3年の夏休みの自由研究が最優秀賞に選ばれたのだが、自身は適当にやったつもりであった。
 その研究内容とは、家の前にある木に止まった蝉の数を、毎日決まった時間に数え表とグラフを作成したといった内容。
 天候によるダゴヘゴはあるが、8月初旬をピークに、山の形のグラフが出来上がるのだが、まさか受賞するとは思わなかった。
 ただ、当時、同級生達のものと比較して、優れていたのだろう。
 (ADD者が決まった時間に記録をつけてまとめるなんて、あなたは違うと仰るかも知れないが、勿論、本当は忘れた日がいくつかあった。後で忘れた日は前後の数値から適当に埋めるなどしましたよ。私の場合はなぜかこういう誤魔化し術に長けていたので随分と助かった。9月2日の「夏休みの宿題」を参照してください」)


 その後、毎年何らかの賞を受賞し続けた。 自分としては宿題だから仕方なく、でも算数ドリル等よりは楽しくやったに過ぎないのだが、内容は忘れたが。

 また、ハーモニカやリコーダーなど、小学校で習う簡単な楽曲なら耳コピーで殆ど練習しなくても弾けるようになってしまうのも特徴である。努力せずして音楽の成績は良かった。 他の子が出来ることに苦労するが、その逆もあるのだ。(ちなみにこの特技、現在は失われている)


 スポーツは、前回コラムでも触れたが、バスケットボール、サッカー、バレーボールなどは大の苦手であった。


 短時間の間に考え、相手の動きを見てチームメイトと連携を取り・・・
 監督やキャプテンの立場の者から「よく考えて動け」と言われても、なかなか難しいのだ。

 野球はポジションによっては(外野手など)活躍できるしバッティングに関してはハンデは無い。走塁の判断ミスはやや多く、たとえばやたらにベンチやランナーコーチから、「もっとリードしろ、リード、リード」と言われるのははっきり言って逆効果である。集中出来ないのだ。

 小学校は、バスケットの大会、剣道の大会があった。 前に触れたがバスケットは万年補欠。しかし剣道は5年生にして、6年生を差し置いてベスト5に入り、俗に言うその学校のAチームとして大会に出場させてもらった。

 このように得意不得意があるが、アイデアが少し他の人と違う、課題に対するアプローチの仕方が違い、それがその状況によっては大変な評価を受けることがある(怒られることもある)。

 私は少年時代、教師に沢山叱られたが、詩がある新聞に掲載されてしまう等、大きな手柄で褒められることもあり、やはり他の子とどこか違っていた。

 社会への適応が、ノーマル人間よりも難しい面もあるが、高い能力を発揮出来る場合もあるのだと思う。


 ある作業をしていて、横から何か言われるとすぐそれに反応してしまうことを「集中力がない」と怒られることが多いが、これって、状況によっては有利な特性にもなるのではないだろうか?

 ただ、現状はパニックの原因になることの方が多いが・・・(汗)


 ただ、人生経験を積むごとに、その特性を自ら把握し、それを生かすことが出来るようになるから、遅咲きであり、大器晩成の傾向があるのだろう。
 
 また、社会的立場も影響している。

 小学校時代は有無を言わさずADD、ADHDにとって辛い作業を強制的に課せられ、それから逃げることも出来ないが、中学生、高校と上がるにつれてある程度強制的なものが減り、楽になってくる。

 社会人になって、下っ端のうちはまた辛いが、上司、先輩、同僚に恵まれれば何とかやって行ける。
 部下が出来ると、自分が苦手な業務を任せることが出来る。ここまで来ればもう何も問題は無くなってくる。

 私の場合はまだまだ自分で業務を選べる立場ではなく、不得手なこともこなさなければならないが、パソコンの普及によって随分と助かっている状況である。工夫次第で乗り切れる。

 このように年齢が上がり、立場が上になるとADD(ADHD)だから困るような類の仕事を任される機会も減ってくる。

 だから発達障害のお子さんを持っておられる方、今が一番辛い時期かも知れないが、何とか立派な大人に育てていただきたいと思う。私は親に感謝している。






題名:私の告白 日付:2008.1.20


 私はADDである。
 他のADDの方の症状を見るに、私の場合はかなり軽度な部類になるが、それでも、小学生時代までは随分と苦労があったし、現在でもその名残はある。

 ADDとは発達障害の一つで、どちらかと言えば多動性の「ADHD」の方が問題行動も顕著になるためか、こちらを中心に説明されることが多いようだが、かなり悩みどころも異なるようなのでもっと分けて説明した記述がないものかとADDとしては思っている。

 私がこれを認識するようになったのは最近であるが、言葉を話すようになったのは4歳を過ぎてであるし、その後、小学校では先生にやたら怒られた記憶がある。
 当時は体罰が横行していた時代だったので、ADDやADHDの人間にとってはかなり辛い時代だったと思うが、とにかく忘れ物をよくする、整理整頓が出来ない、物をよく無くす等、困ったものだ。

 私が一番辛かったのは、相手の指示をすぐに理解出来ないことが多いことだった。 体育のバスケットボールの授業で、少し複雑なパスのコンビネーションの練習で、先生が説明し、他の子はそれを理解し、流れるようにパスをまわしているのに、それが私のところで止まってしまった。「僕わかりません」と言えないまま、流れに乗ってしまったのである。勿論、私パニックになっている。

 先生は激怒し、私に歩み寄って来て、思いっきり私を張り倒す。情けないことだが、ADD者がよく経験するパターンだと思う。

 大人になると、その場合の対応が出来るようになって、支障なく社会に適応してはいるが、やはり今でも時々、似たような状況は起きる。予めその状況にならないよう気をつけることは出来る。これが子供時代は非常に困難だった。

 私は、その立場上、消防団に入団せざるおえないのだが、実はこの消防活動が非常に苦手である。迅速な的確な判断が難しいのだ。

 しかし出来ることはある。ホースを運ぶ、ホースを繋ぐ、重いものを率先して運ぶこと。筒先は補助に徹すること。間違っても最前線や、指揮を執らねばならない位置や、指示に迅速に対応するポンプや河畔の近くには寄らない、もしくは補助的な立場に回ることだ。
 また、無線トランシーバーはなるべく他の人にお願いしたい。成り行き上持たされた時は大変だったが。

 これは「怠けている」のではない。己の能力を認め、迷惑をかけないためには重要なこと。その場に適した人材は他団員にいくらでもいる。向いている人は率先して指揮を執り、その指示に迅速に動いている。私たちは出来ることをして貢献するしかない。
 他の人たちがテキパキ動いている中でオロオロして気疲れをする様子は、恐らく似た症状がある方なら想像できると思う。

 実は、私の父親は元消防吏員。その子供がそんな事言ってと思うかも知れないが、父親は難なく職務を全うし、定年後も、何とか嘱託職員として留まってもらえないかと説得を受けていた程だから、私のような症状はなく向いていたのだろう。

 人間、向上心は必要だが、社会で生きていくためにADDやADHDの人間が適応するには、なるべく苦手なところには行かないこと、苦手な仕事を任されないよう努力し、得意な分野に身を置くよう努力することがコツであるが、私のように行政マンという立場上、苦手な職務も回ってくることは宿命であるが何とかやっている。

 介護保険の職務は、全く苦にならなかった。厚生労働省からの通達を把握し、制度を運営していく。事業者さんからの質問も、方法は様々だが調べれば答えはあるものだし、グレーゾーンだってじっくり考えたり上司に相談すれば何てことはない。
 苦手な書類の整理も、まぁファイリングに気を使えば、やや机の上は他の人より汚いかもしれないが支障は無かったし、審査会資料は量は膨大だがパターンが決まっているので整理はし易かったし、後輩や同僚に任せたりもしていたしで、支障は無かった。

 苦情対応処理は、やはりやり手の方のように上手いことを言って対応することは難しいが、誠実な対応心がけることによって可能だし、相談業務は、これは各制度を勉強しよく把握することと、慣れること。
 しっかりした事前準備と、他人よりも多く練習することによって苦手な事も人並にこなせる場合もある。


 また、3次元での片付けは相変わらず苦手だが、パソコンの中でのデータ整理は大丈夫で、国保連の受給者情報管理や、介護保険特別会計の予算編成作業などは簡単なことであるし、個人情報流出などのセキュリティ意識も他の同僚よりもかなり高いと自負している。
 
 こういたことで、私は何とか社会に適応しています。 整理整頓、心がけで少しはマシにはなります。片付けよりも散らかさない努力が最近出来るようになりました(笑)

 同じ境遇の人、がんばりましょう。







題名:生活保護引き下げ−受給者、悲鳴と不安 日付:2007.12.9

 厚生労働省の検討会が生活保護基準を引き下げを容認する報告書をまとめた。国が基準引き下げに踏み切るかどうかは未定だが、物価上昇が目立ち始めた今、「基準を引き下げられたら生きていけない」と訴える生活保護受給者も多い・・・(yahooトピックス 毎日新聞)

 現在、国の財政は厳しい。

 社会保障や福祉の低下と反比例して物価は上昇している。これでは、高齢者などの弱者にとってはますます厳しい。

 基準引き下げが検討される背景に、財源不足があるのは当然であるが、この生活保護費を不正に受給しようとする輩や、本当に必要なのか甚だ疑問な者が受給していることも問題である。

 やむを得ず本当に必要な方のみに支給するように出来れば、基準引き下げしなくてもよいと考える。

 私は、福祉事務所で、同僚のケースワーカーの努力を知っている。

 先ほど述べた、「本当に必要なのか甚だ疑問」な者も、様々な経緯があり、生活保護を受給している。それを支給する度に、切りたいけど切ることのできないジレンマ、葛藤に苦しみ、また、新たな申し込みに対しては、そう簡単に受給できるものではないことをご理解頂きながら、その方の審査を慎重に行う。

 心身に問題の無くなった、しかし働くことに踏み切れない被保護者を励まし、時には厳しい言葉をかけながら、生活保護打切へと導いていく。

 一人の被保護者が立ち直り、仕事を始めて生活保護も縁も切れる時が、大変辛いケースワーカーの仕事の中でもっとも嬉しい瞬間なのかなと傍から見ていて感じた。

 生活保護を受けれず死亡・・・と言ったニュースが流れると、その自治体が非難される傾向があるが、このような凌ぎ合いを見ている者からすれば、ただ闇雲に非難するのもどうかと考えてしまうのは、同業者びいきだろうか?

 「生活保護受給者は色々な問題を抱えている。この対応は僕らの仕事。どんな問題とも向き合う。しかし、不正受給を目論む者への対応が一番しんどいよ」

 窓口では、生活保護の申し込み者に対して、少々厳しい言葉も飛び交う。

 この制度を真に必要とされる方が、必要以上に我慢することなく、より良い暮らしができるよう、努力している。

 



題名:夏休みの宿題について 日付:2007.9.2

 夏休みの宿題を代行する業者が現れ、かなりの注文をこなしているとの記事を見た

 大人が子どもをダメにしている典型的なパターンだろう。

 今の子どもは、親からは過保護に育てられる一方で、事件に巻き込まれることも多くなり、これ、全て社会、すなわち大人たちの都合で大変窮屈で、恵まれない状況にあると思う。

 今の学校では、宿題をして来なかった生徒にどのようなペナルティが課せられているのか、現場を見ていないのでわからないが、恐らく、注意を受ける程度なのかなと想像する。

 つまり、宿題をせず新学期を迎えても、然程問題はないのだけど、親の見栄とか、子ども本人もやはり少しは恥ずかしい思いもするので、代行業者に依頼をするのかなと考える。


 我々の時代は「体罰」が横行していた。

 宿題をせず新学期登校するなど、考えただけでも恐怖以外の何者でもないと言った状況だったのだ。

 体罰の酷い先生と、そうでない比較的優しいタイプの先生など様々だが、優しいタイプの先生でも、宿題をして来ない生徒に対してはそれなりのペナルティを課すなどして、決して許しはしなかったと記憶している。

 私の担任は、体罰の激しい教師だったので、それはもう必死で宿題をしたものだ。

 「体罰」が必要だとは言わないし思わない。

 必要以上の体罰は子どもを萎縮させ、学問への興味を失わせ、逆効果であることはわが身を持って感じている。

 しかし、その体罰教師からは、課題は遂行すべきということを学ぶことはとりあえず出来た。

 それが、たとえ自分の意にそぐわないことであってもだ。

 最近の若者は、この部分が欠落している者が増えているように感じる。

 新人の郵便局員が、郵便配達が面倒になり郵便物を捨てるなど、ありえない話だが、気持ちは分かる。

 私も、先延ばしにしてためた夏休みの宿題を、途中で投げ出したかった。しかし、その後にある制裁を思うとやはりそれは出来なかった。

 そして、高校時代、郵便局でアルバイトをしたが、確かに大変であったが郵便物を捨てて業務から逃れようなどという発想は当然であるが全く思いもしなかった。

 もし、夏休みの宿題をしなくても問題ないという今の子どものような経験をしてしまったら、途中で郵便物を捨てる、隠すなどという発想に至ったかもしれない。


 余談で私ごとだが、多くの人は図画工作や自由研究、読書感想文などに苦慮しているらしいが、私はこれは楽しくて、全く苦にならなかった。私が苦痛にしていたのは算数ドリルや文字のけいこ、国語、算数などの問題集などである。

 日記は、約40日間の出来事を、2日ほどで仕上げるのだが、小学生であってもつじつま合わせをしっかり考えていたものだ。

 その日は雨は降っていなかったかなど、ちゃんと確認しながら、確実に晴れた日はピクニックなどを行ったことにして、天気がどうだったか思い出せない日は、天気には触れなくて済むこと、例えば「今日はプラモデル作りに熱中しました」などとした。

 これは今思えばなかなかいい経験だ。

 日記は毎日、書くのが本当は正しい。そんなまっとうなタイプの人も、私のように先延ばしにしてしまう人も、遂行すればかけがえの無い経験ができていることになる。

 大学生にとってはなかなかいいアルバイトなのかも知れないが、そんな機会を子どもたちから奪わないでもらいたいものだと考える。

 (関連ページ  児童福祉、こども、教育関係リンク集




題名:小室哲哉さんの復活を望む 日付:2007.8.6

 最近、あの音楽プロデューサーとして名高い小室哲哉さんが、吉本興業との契約が終了し、新たな道を模索し、活動を再開するというふうな記事をヤフートピックスなどで見た。

 小室哲哉さんと言えば、90年代をを象徴するアーティストであり、プロデューサーであり、現在の邦楽においても未だに多大な影響を残している。

 その音楽は斬新であり、彼独特のリズム感とか、非常にカッコよいタイミングで転調したりして、初めて聞く者に鳥肌を立たせるような音楽を作る人であった。

 しかし、反面、各曲達が飽きられるのも早く、一曲一曲が使い捨てされるような、現在の状況を作ってしまった原因でもあり、また、その斬新さを失う背景には、彼の曲づくりを真似する作曲家やアーティスト達が現れ、また、それもヒットしていくうちに、2000年を過ぎたあたりから陰りが見えはじめ、現在はヒット曲に恵まれず、忘れられた存在となりつつあった。

 TRF、globeなどの、女性ボーカリストが高いキーを維持しながらリズミカルに歌われる数多くの曲達は、今では「耳障りだ」とまで言われることもあるが、数曲、現在も結婚式などで流れる定番となり、後世まで歌われるであろう名曲も残した。

 大物アーティストの間でも彼に対する評価は賛否両論であり、大人気だった90年代当時も彼の音楽を全く評価せず、邦楽を駄目にしたと批判する者もいたと聞く。

 実は、私も90年代、小室哲哉さんが大ブレイクし、日本の音楽界の中心にいた頃、複雑な心境でいた者の一人だ。

 「TM」と言えば、今の若者は「レボリューション」と答えるだろうが、我々の場合は「ネットワーク」と答える。

 現在、車のオーディオはナビゲーションシステムと連動し、データーをハードディスクに入れるタイプのもので、その中に1980年代の、TMNetworkの曲をかなり入れており、いまだに聴いている。

 その音楽は今聴いても全く色あせていないのだ。

 「RAINBOW  RAINBOW」というアルバムに入っている曲はどれも名曲だし、1985年に発売された「CHILDHOOD’S END」というアルバムに入っている「アクシデント」という曲を車内で流れた時、従兄弟の大学生が「この曲な誰の曲ですか?何という曲ですか?」と驚いたように聴いてきた。
 ヒットした曲ではないのでファンでないかぎり、私と同年代の方々すらも知らないであろうこの曲が、今の若者の心をつかむことが充分に可能だということが判明した出来事だった。

 「Self Control」という曲から以降は、彼らもビッグアーティストの仲間入りをしたので、知っておられる方も多いと思うが、TMネットワークは何度聴いても飽きない。

 90年代の彼の音楽は後発に真似されたが、TMNetworkは他の者には真似できない何かがある。

 それは、おそらく、曲の作成段階で、木根尚登さんという参謀が関わるからなんだと思う。

 TMの中では比較的新しい2004年発売の、Easy Listeningというアルバムを最近買った。久々にTMでも聴くかなと。

 「PRESENCE」と「風のない十字路」という曲がお気に入りであるし、宇都宮隆さんの歌声も衰えていない。なかなか悪くない。

 KEIKOさんには申し訳ないが、やはり、小室哲哉の復活はTMNetworkの復活しかない。

 「初心忘るべからず」ということだ。

 制度の改正が頻繁な介護保険での仕事に関しても、この諺はぴったり当てはまる。

 その道のベテランとなって、一目置かれる存在でいられるのも束の間、少し勉強を怠るとあっという間に取り残される。

 今の私にもそれは言える。

 「TMNetworkとは、時代をネットワークする、TimeMacine Networkの略ということで、音楽を通し、過去の人も未来の人にも感動と楽しみを提供しようということなのだと私は感じている。

 私も彼らのその志を真似して、福祉の情報をネットワークして、世の中の役に立ちたいとこのサイトを立ち上げたのだから。

 

題名:参議院選挙を終えて感じたこと 日付:2007.8.1

 私個人は、当然、何れかの候補者及び政党に投票するわけですが、当サイトの管理人としては特定の政党を支持したり批判したりということはしません。あくまで中立であり、その記述は私見の一般論だということを予めご了承ください。

 今回の選挙結果は、民主党を中心とした野党がある程度は議席を伸ばすであろうと予想はしていたが、まさかここまで自民が大敗するのは想定外でした。

 
この結果は、強いて言えば「社会的弱者」に位置する方々の反乱と言えるかも知れません。

 「安倍首相頼りない」として辞任すべきと言ったり、赤城農相の問題が痛かったとか、これをマスコミが大げさに報道し、国民がそれに影響されてしまったなどという意見は、これはむしろ現在の与党に依存しておられる方々の意見だと思います。
 今まで思惑どおり事が進んでいたのに、これからどうしてくれるんだということです。

 年金問題もきっかけの一つに過ぎないのではないでしょうか。

 私が2006年まで福祉事務所の窓口で受けてきた苦情の数々は、小泉政権の時代からの切実な訴えであった気がします。

 現実に庶民の生活が苦しくなっているのだということを解っておられるのだろうか?本当の理由はこれにつきると思います。

 一日中働きづめでも生活が楽にならない「ワーキングプア」は、明らかに不当な労働条件で働かざるをえない今の社会構造が問題であり、介護業界などもこれに該当します。

 格差社会は、必ずしも努力の結果だけが反映されているのではない、頑張っても豊かになれない現実があると考えます。

 今の時代は額に汗し、長時間労働するだけでは駄目だということなのでしょうか?努力の結果成功した起業家などを指さして、「君もああなれ」とでも言うのだろうか?全ての国民がそれを目指してどうなるのか?身体を痛めながら額に汗する仕事をされる方々への評価が低すぎるのではないでしょうか。その労働力は必要とされつつも、報酬が最低限に抑えられているということです。

 「有力者牽引型」の政策自体は、景気回復への手っ取り早いと言えば言い方が悪いですが、効果的な手段であることは理解できます。しかし、それに乗って業績を伸ばした大企業などが、その利益を兵や民に還元することなく今回の選挙を向かえてしまったということでしょう。

 しかし、大企業を抽象的に批判するのはナンセンスです。

 当サイトリンク集でも「社会貢献」として有意義な活動をされておられる企業もありますが、ある衣服のメーカーについて。

 そのブランドは有名ではあるが、安価が売りであり、そのメーカーのロゴがついていると少々恥ずかしい気がしていました。

 私自身、安物の無名ブランドの服は平気で着るが、その有名ブランドはどうも抵抗があった。またかなり目立つ位置にロゴを張っておられる・・・。

 服の質、デザインは、値段の割には悪くない・・・。

 しかし、あるニュースをきっかけに、そのブランドを「恥ずかしい」とは思わなくなり、素晴らしい、誇れるブランドと好んで着るようになりました。

 そのニュースとは、その衣服メーカーが、全、臨時、パート社員の正社員化を行ったというものでした。

 かなりの英断だと関心しました。こういう企業は決して潰れない?

 私ごときがこんなこと言うと経営者諸氏に叱られるかもしれませんが、「無駄とは?」という質問に「人件費」が一番最初に頭に浮かぶ方は経営者を止め、労働者側に回ったほうがいいと忠告します。

 リストラは、末期がん患者にダイエットをさせるようなものであり、どっちみち潰れるということですね。。


 「人間を雇う」ということはどういうことか!労働者側の立場の人間の一人として言いたいと思います。

  何も、働かない人材を我慢して抱えよとは言っているわけではありません。問題ある社員は民間、公務員問わず淘汰していかなければなりませんね。

 どうか、頑張って働けば報われる世の中を!ワーキングプアなどあってはならないと考えます。

 また、障害者などへの就業支援なども充実させてほしい。彼らの中に有能な人材が埋もれている。たとえ今は福祉に頼る立場であっても、それが高じてこの国の発展に寄与する人材へと昇華していく可能性は充分にある。現実に活躍されておられる方々もおられる。


 低福祉低負担、高福祉高負担のいずれかが本来の姿であり、高福祉低負担を求めるのは無理があるが、独裁政権や、昔のわが国のような封建社会では低福祉高負担はありえます。

 そこまで大げさではないが、ここ最近の政策は、低福祉高負担で我慢しながら経済成長や国の財政の適正化を図ろうということだったのかとも思います。

 高齢者介護、障害者自立支援などの福祉を後退させてはいけない。

 国の財政が厳しいのは解る。無駄は他にあるはずだ。福祉に関しては削減の優先順位をもっと下げてほしい。

 それが「美しい国づくり」だと思います。

 追伸、全ての国民に選挙権がある今のわが国の仕組みには感謝しないといけませんね。偉い先輩方がおられたものだと思う。それなのに依然として選挙に行かない、投票しない者が多すぎるのも問題だと考えます。




題名:もうすぐ参議院選挙です! 日付:2007.7.23

 私は当日、選挙事務をさせていただきます。勿論、投票もします。心の中では、今回、どの政党か、どの候補者か、マニフェストなどを参考にしながら目星をつけてはいます。

 最近、ウェル掲示板などを見るに、介護事業者さん達、もう限界って言うか、戦国時代や江戸時代なら、「一揆」が勃発しそうなきな臭い状況がうかがえますが、介護業界はまさに社会全体を反映しています。

 ただ、こう言うと「与党が悪で野党が善」と感じるかも知れませんが、そんな単純な問題ではなく、「年金問題」を与党、自民党だけの責任として争点を絞るのは違うということです。

 各々が、注意深く、マニフェストや演説、広告などから各候補者、各政党の考え、思想、思惑を捉え、思案する必要があるでしょう。

 私は政治に関して決して明るいわけではなく、素人の私見ではありますが、ちょっと思うことを述べさせていただきます。

 今、格差社会と言われています。

 仮に、富裕層、権力者および権力とつながりのある者などを「強者」とし、ワーキングプアなど我々一般庶民を「弱者」と定義します。

 まず、「強者」は政治に関心があります。なぜなら自身に影響があることを知っているからです。

 それは投票に行く行かないのレベルではなく、時として「支援者」として関わることすらあります。

 「強者」の方々だって、自分の財産や利益を守りたいと考えるのは当然です。

 自分達の意図を理解する政治家を支援し、また投票もします。

 方や我々「弱者」と呼ばれる者たちはどうでしょうか?

 「誰がやっても同じだ」とか、「私には関係ない」とか「関心がない」として投票にも行かないということはありませんか?

 これでは格差を認める方向に傾いてしまって当然ではありませんか。

 「選挙権」を放棄しておいて、やれ格差社会だのと世の中を批判するのは本末転倒と言えます。

 あなたの一票が国を支えます。

 未熟なうちはパフォーマンスに騙されちゃうことだってある。それでもいい。最長、参議院は6年、衆議院は4年の任期があるのだから、志の高い政党や候補者を見極める目を養う経験にはなる。
 投票に行かないよりは100倍マシなのです。

 必ず、投票に行きましょう!







題名:普通救命講習会を受けて感じたこと 日付:2007.7.2

 主に市民が行う一次救命措置というふうなことで、応急手当の重要性、心肺蘇生法の流れ及び手順、AED到着後の手順を学びました。

 我々受講対象者は一般市民であり、医療に関する知識は皆無であることを前提としているが、応急手当、心肺蘇生法等をまずはマニュアル的に身につけ、最後に実践方式で行い、講師である消防士の方が、突然状況設定を変えるなどしながらマニュアルどおりではなく臨機応変に対処できるような訓練をさせて頂くといった内容でありました。

 これを受けた感想・・・これは全ての方が受けるべきだと思いました。

 しかも、最低年に1回程度が望ましいと考えます。

 実際、この講習を受けて間もない私は、今ならこのような状況に遇ったとしたら、非受講者に比べたら格段に適切な救命処置が可能である自信があります。

 受講後、何だか自分が一回り成長したような、本当に有意義な時間を過ごしたという満足感で一杯でした。

 受講は職場による強制的なもので、正直、受講前は「ちょっと面倒だなぁ」などと恥ずかしながら思ったりしてましたが、来年以降は進んで受講を希望したいと思います。

 消防士の方々は日常的に訓練されていますが、我々は日常は無関係なため、月日が経つと救命の腕はどんどん落ちていると考えます。

 つまり、身に染み付いてはおらず、忘れるということです。

 また、心肺蘇生法のガイドラインは年々進歩しているようです。今回は「絶え間ない心臓マッサージ」が重要だと教わりました。

 AEDの操作も全く触ったことも無い方には難しいですが、講習を受ければ非常に簡単なことなのです。


 我々は何時、バイスタンダーとなるか分かりません。

 その時、そのバイスタンダーがこの講習の受講者か、非受講者か、これは患者さんにとって運命の分かれ道。生死を分けるのです。

 救急車到着まで約6分。この時間に行うことの違いは大きいのです。


 これに関連するホームページを、「介護と医療のリンク集」に掲載しています。このリンク集は、医療的な観点から介護をテーマにしたサイトの他、救急救命士さんのホームページも掲載させて頂いています。是非ご覧ください。






題名: イエローリボンバッジを入手! 日付:2007.6.28

 本日、仕事から帰宅したら、日本障害者協議会(JD)さんからイエローバッジが届いていた。

 1個当たり300円だが、50個で単価が安くなる。

 JDのホームページには「相談に応じる」ということで値段は明記されていないが、注文時に教えて頂いた値段をここで言っていいのかわからないのでとりあえず伏せるが、性質上できるだけ安く手に入れたいというふうなことではないので我々はメンバーの人数等から、10個ほど注文した。

 3個は自分用、残り7個はメンバーに配布する。

【イエローリボンバッジとは】

 〜障害者権利条約の国内批准促進と障害のある人びとの社会参加の推進をめざして〜

 「私たちは、このたび国際連合(国連)で採択された障害者権利条約を日本国内に広く知らせ、障害のある人びとの社会参加を推進していくために<イエローリボン>運動に取り組んでいます。」

 とのことで、詳しくは日本障害者協議会(JD)のホームページをご覧ください。

 これはなかなかお洒落なバッジで、写真を見ても、何とも言えない光沢と、スタイリッシュなデザインなどで「欲しいなぁ」と思った方もおられると思いますが、近いうちに、高齢者介護NetworkのTOPページにて、これの装着写真を掲載する予定です。

 我がメンバーの一人にモデルをお願いしようと考えているのですが、これを掲載したら、予約殺到で大変かもしれませんよ。

 当方としては「普及」に貢献できればそれでいいのですが。


 これを取り扱う団体様はJDの他いくつかあるようですが、欲しい方は「障害者施策・ユニバーサルデザイン」のリンク集にある日本障害者協議会(JD)さんまで!




題名: メディアについて 日付:2007.6.14

 6月11日のコラムで、メディアに対する批判めいたコラムを掲載したためか、本日の夜中、同局でなかなか有意義な報道がされていました・・・って、このページ、実はまだ殆どアクセスが無いので、本当は全く関係ないでしょうが。

 しかし、かなりのアクセス数を誇る他サイトの掲示板でかなり批判されていて、それはかなり影響していると考えられます。

 中小規模の訪問介護事業者を取り上げ、ハイクオリティなサービスを提供し、利用者さんに喜ばれているが、経営が苦しい実情を取材されていました。

 そうそう、まさにこれなんだよ・・・って感じで見ていました。

 制度改正による介護報酬カットが、利用者第一を考える優良事業者を苦しめている状況であり、内容が評価されない、時間で決まる報酬と、事業者の自己申告による報酬請求の仕組みが悪質事業者に食い物にされる最大の原因であり、これを何とかしないといけない。

 悪質事業者に食い物にされた結果が、介護報酬の改悪であり、これら悪質事業者と国との攻防の狭間で、本当に利用者に喜ばれている優良事業者が苦しめられているというのが現在の状況であります。

 そういった問題点が垣間見え、世間が考えるきっかけを与えたコムスン問題。

 しかし、これが発覚する随分前から、志ある事業者は苦しめられていたし、その苦しい原因が不正を行う事業者と行政の怠慢のとばっちりであることも察していたと考えられます。

 制度を考える国(厚生労働省)と、それを運用する都道府県、市区町村の今後の果たすべき役割は非常に大きいと考えます。
 



題名: メディアについて 日付:2007.6.11

 これは「介護保険コラム」に書くべきかどうか迷ったのですが、「下っぱ町職員後編」がまだなので、こちらに。

 高齢者介護Networkにて、悪質事業者に関する記述があるが、このコンテンツ自体、現在世間を騒がせている「コムスン問題」が露呈する随分前に作成したものであり、直接関係はありません。

 それで、昨日、あるテレビ局の朝の番組でのことですが、コムスンの会長はなぜ火中の栗を拾いに行ったのか全く意味不明な内容でありました。

 当然、火中の栗を拾って帰ってくることは出来ず、ジャーナリスト達の集中砲火を浴びて泣きべそをかき、ますます世間の心象を悪くしたのではないかと思います。

 コムスンは確かに悪いことをしましたし、これを擁護するつもりはさらさらありませんが、私が気になったのはメディアの稚拙さです。

 まず、制度に詳しい人間がおらず、同道巡りの議論に終始してしまったのは、掲示板などでも言われていますが、ここぞとばかり叩く姿勢、業界そのものに対する問題提起ではなく、とにかくターゲットを攻撃することを中心としています。これは「視聴率を取ること」に固執した、所謂儲け主義であり、コムスンがしてきたことと何ら変わらないのではないのか?


 「福祉」や「老人介護」は儲け主義は当然批判されるが、ジャーナリズムはこれが正当化されるきらいがあります。

 実は私が住むまちは、局は違うが「ジカ○ンパン」なる番組のターゲットになったことがあります。

 それを見て唖然としたのを思い出します。

 確かに、行政サイドもいけないところはありましたが、番組の編集の仕方など、酷いものでした。

 テレビカメラがズカズカと入り込み、役場に来られている一般町民に迷惑をかけている。同僚はそれを咎めるため、大きな声を出してしまったのですが、これを編集でうまく使われ、「極悪役人」に仕立て上げられてしまったのです。

 また、当時の町長の「反対する人もいるかもしれないが、町の為には必要だ」という志も知っている。そんな悪意はなかったと思われます。後に「あせって町民の意見を吸い上げることを怠ってしまった・・・反省している」と職員の前で言っておられました。

 それを一面のみをクローズアップし、随分とわが町を辱めてくれたメディアに不信感を抱いたものであります。



 介護も、実際はコムスンだけの問題ではないと私は見ています。
 
 
 因みに、コムスン会長、また夜の番組で女性キャスターに「介護をなめるな」などと先ほど言われていました・・・。
 「言い訳を聞いてもらおう」と、メディアを利用しようとして出演を承諾し、逆に利用されたのか?・・・火中の栗を拾いに行った結果、またまたダシに使われ、これを繰り返しているようです。



 介護をなめているのはコムスンだけではない。現場で介護に携わる、民間、行政、社会福祉法人など職員皆様と、要介護者をかかえた家族(利用者)の方々以外の者全てが・・・政治家も官僚も、そしてメディアも、介護をなめていると私は思えてなりません。




題名: サイト運営に伴って知った取組み、パソコンボランティアに感銘を受ける 日付:2007.6.7

 私は、高齢者福祉と介護保険に関しては勉強の甲斐あって、少しばかり心得はありますが、障害者福祉、精神保健福祉、児童福祉など、福祉全般で言えば素人であり、これから勉強していかなければならない立場であります。
 サイト運営も、「ハッタリ」は必要かも知れませんし、これは言わない方がいいのかも・・・とも思いましたが、高齢者介護Networkのリンク集のサイトでかなり知識を得ることができたと思います。

 リンク集のページを作成するにあたって、「こんな取組みがあるのか!」と感銘を受けることは多々あるのですが、その一つにパソコンボランティアがありました。

 これらの取組みを、「障害者へのIT支援」なるページで掲載しています。

 視覚障害には点字や音声で、聴覚障害には音声情報を文字情報に変換するなど、それぞれの障害に即した技術を活用し、それをサポートしています。

 障害者も、高齢者も、「情報弱者」に陥る可能性が高く、また、それにつけ込む悪徳業者もきら星の如くであり、騙されれば「自己責任」と突き放されるこの厳しい世の中で、障害者、高齢者を「情報弱者」にしないことはとても重要な課題だと思います。

 認知症高齢者等に対しては、ソーシャルワークで支援していくとしても、障害者の方に対して、情報のバリアフリー、情報のユニバーサルデザインを支援されておられる方々が全国におられ、その成果もあってか、障害者の方が運営されるホームページも見られるようになってきています。

 「情報弱者」ではなく、自ら情報を発信する側になっているのです。

 このような取組みには、ボランティア自身にかなりの情熱と技術、スキルが要求されるのかなと思いますが、それが高じて、成功し、将来的に大きな事業につなげていけたらと願います(これは私が勝手に思っていることであり、本人達はそんなこと考えていないかも知れませんが)。

 きっかけはボランティアでも、福祉の志を持った方々が結果的に利益を得ることが出来る・・・そんな世の中であればと。

 目先の利益にとらわれ、不正を行う者は淘汰されていかなければなりません(最後は結局介護保険の話になってしまってすみません)



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